瞑想、表現、アート、静かな生活

瞑想を中心とした日々と創作物にまつわること

鬱から瞑想のできるからだとこころへ 10月号

10/01

 

この3週間でわかったこと。

鬱の症状はおさまったのだが瞑想に打ち込むにはエネルギーがまだ足りないということ。

すこし根を詰めて瞑想をしてると鬱症状の片鱗が顔を出してくる。

というわけでもう少し休養に務めることにした。



10/02

 

毎日極力「なにもしないこと」をやってる。休養休養。

とはいっても流石に飽きる。飽きるがやりたいことは瞑想くらいしかない。

ということでカンポンさん式瞑想を少し試すことにする。手のひらを表にしたり裏にしたりね。もしかするとそれでも鬱っぽさが再発するかもしれないがその時はまた考えよう。

 

10/03

 

憂鬱感とだるさとやるきのなさ。

転院をかんがえてみようか。

 

 

そういえば夏の間にベランダに設置した餌箱にきてエサを食べまくってたスズメが来なくなった。最後に見たときは毛が荒れてて動きも鈍かった。野生のスズメの平均寿命は2年位だそうです。人が部屋で飼うと10年近く。自然は厳しい。

 

10/04

 

先日病院でMRI検査をうけました。すごいですねあの暴力的なノイズは。メルツバウとかじゃ物足りない方は是非一度体験をおすすめします。

 

いい感じに酔って来たなあ。ひさびさだ。

 

10/06

 

今日はこころも身体もおちついている。やっぱり2週間根を詰めて瞑想したのと、そのあとのこんまりメソッドを元にした大かたずけが響いたのかも。

今年いっぱいは極力何もしないで過ごそう。

 

図書館で借りてきたミロコマチコさんの「ねこまみれ帳」を読む。鉄三があまりに魅力的な猫なので亡くなってしまいしばらくショック。



うつ療養中にねこ飼うのはどうだろうか。いやされるときとストレスがすごいときが両方ありそうだ。

 

10/07

 

どれだけのものを諦められるか。今はそれだなあ。

世間的に楽しいとされてること、体調が人並みになる事、後半生をついやして頑張ろうと思ってたタイ仏教の瞑想。これらを今の時点では諦める。

そうなると何のために生きてるのか?と疑問も生まれるが自殺する気はないので、だったら生きるために毎日生きていくっておとなんだろう。確かな目的はこれくらいか。

 

もしかすると諦めてゆく作業は心の断捨離のようなものかもしれない。心の断捨離の先には何かがあるか想像がつかないけど。



今日は15時間ほど寝た。寝すぎるのがイイのかダメなのかわからないけど、休養してはいるんだろうから悪くはないだろう。

 

BUMP OF CHIKINの新作CD「awrora arc」到着。発売してからずっとSpotifyで聴いていたのだけど解約してしまったのでメルカリで購入した。バンプの大ファンではないんだけどこのアルバムには驚いた。完成度、バンドの成熟度。素晴らしい出来。鬱真っ只中に聴いたのにも関わらず引き込まれた、それだけでも個人的にはスゴイこと。

 

10/08

 

15時間寝たので眠くならない。当たり前。

 

こういうときは瞑想に励むのが一番なのだけど、瞑想頑張るとうつ状態が悪くなることが多いので出来ない。これは実は大問題なのだ。多分おいおい書くけど今後の生き方に関わる問題なのだ。現在これについて悩み中。だけど悩むのも鬱的によくないので極力諦め中。

 

 

2時間ほど寝て目覚めた。しばらく眠れないだろう。このまま1日起きてるかもしれない。

暇なので、そもそも鬱認定になった最初を書いてみよう。僕のようなパターンの人意外と多いと思うし現在その真っ最中の方もいると思うので。

35,6歳のころだ。とにかく体が不調になった。詳しいことは忘れたが「たぶん大きな病気にかかったに違いない」と信じ込むような不調が続いた。当然内科を受診したが特に異常なし。でも実際不調なんだから「異常なし」なんて信じられない。病院がだめなら、と整体やらちょっと怪しい(不思議な)施術をするところにも通った。効果なし。当時は精神的に鬱っぽさはなかったがなにをやっても改善しないので「謎の病気で命にかかわるのではないか」という不安が日々続き、ゴリゴリと痩せていった。

 

そのとき当時妻だった友人の夫から「心療内科行ってみたら?」というアドバイスをもらった。彼は頭に異常が出て脳外科医で検査して問題なしと言われるのだが納得いかず(頭の異常は続いているので)他の病院で検査→異常なし→他の病院で検査→を繰り返していた人だ(その経緯は後日知った)。

当時の僕は「心療内科ってなんだ?」というくらい知識がなく何だかわからずに彼に勧められたクリニックに行ってみた。

医者に症状を話すと「うつ病ですね」の一言。

このときの妙な解放感というかホッとした気持ちは忘れられない。まさか僕が鬱とは!という驚きより「異常なし」と言われ続けたこの苦しみに「病名」が付いたのが嬉しかったのだと思う。

 

軽い抗うつ剤を処方され早速自宅で飲む。すると

「!!」

数年間に渡って苦しんだ様々な身体の症状がすーーっと消えてしまったではないか。

今思うと効きすぎの感もあるが実際魔法の薬かと思うくらいよく効いた。

地獄から天国。実にドラマチックな1日だった。



まあ実際はこれをきっかけにして長ーい鬱とのと付き合いが始まるのだけど。

 

NHKの朝のニュースをみている。さっき野良アライグマが農作物を荒らすニュースをやっていた(捕獲されてかわいそう)。そのあと国会議員をアナウンサーが大臣室に訪ねて話を聞いてた。その大臣は「私のイメージキャラクターはアライグマなんです。日本を奇麗に、クリーンにする!」とアライグマのぬいぐるみを掲げていた。

NHKの悪意ある編集。

 

 

これから市の「心の相談室」的なものに行ってくる。鬱歴15年の人間がいくものじゃないかもしれないけど試しに。考えてみたら病気の悩みを人にきちんと聴いてもらったことないし。

 

保健師さん(?)に相談にしてきました。基本的にはこの2週間くらい自分で考えていた事と同じことをおっしゃってました(良くなってきたので急に頑張りすぎてまた症状が出始めた)。ですが同じことでも人に行ってもらえると安心しますね。そうかーやっぱりーみたいな感じで。

その時々にどれくらい休めばよいかの見極め方や生活習慣などに関しても有益なアドバイスを頂きました。行ってよかった。

 

 

それにしても暇。

心身が疲れそうなことは(例え楽しくても)暫くは我慢しょうと決めたらやることが 本当にない。テレビは見ないし映画は疲れそうなシリアスなものが好みだし音楽も結構疲れる。

本(小説)は休み休みなら辛うじて読めるけどロシア文学とかが好きなので1日中は無理だ。

開き直って暇を体感し見つめ続けていれば何か未知の手応えを掴んだりするかもしれないというそんな可能性にかけるか!

 

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今日も寒い。もうすぐ上記のレコードのような季節がやってくる。北の長い冬。

このLPはシベリウス交響曲4番なんだけど、おまけではいってる組曲「恋人たち」が無茶苦茶美しい。

 

今日はこれからタイのお坊さんとskypeで面談です。

 

お坊さんとの面談終わりました。ちなみにタイで出家なさってますが日本人ですので普通に会話できます。約50分ほどですが心が軽くなりました。

 

一日中家にいると何か有意義なことをして過ごしたいと思ってしまうが、うつ中の僕の一番有意義な時間の使い方は「何もしないで休むこと」だ。

 

ぼくは鬱ではあるのだが多分自律神経も相当イカレテると思っている。

自律神経を治療する病院は(基本的には)ないので自分でなんとかするしかない。

いくつかの食事療法。漢方(中医学)。自律神経を整える体操、違うタイプの体操などなど。効き目がありそうなのを片っ端からやってみた(効果ありそうって言っても勘)。

そのなかで一番僕に効果があったのが崎田ミナさんの「ずぼらヨガ」という本。ちょうど色々と真剣に頑張ってやってもどれも効き目がないのでいいかげんウンザリしてた時期に、この本は気楽に読めて(マンガだ)簡単に取り組めそうだと買ってみた。ヨガもやったことなかったし。

しかしこれが効果があった。すごく。

シンプルなヨガが少なめに紹介されてるのだけど細かいポイントも丁寧に書いてあり実にわかりやすい。そして即効性がある。僕の場合は始めてすぐ身体の不快感がかなり軽減された。どの動きも簡単で覚えやすいので「ちょっと身体が変だな」というときすぐ出来るのもよい。

 

健康な人がより健康になりたいとか若々しくいたいとかダイエットとかそういうヨガじゃなくて、僕のように自律神経の乱れを「普通」にしたい、「人並みの体」に近づきたいという用途にはこれくらいシンプルなヨガを毎日することで十分なのだろう。多分。

 

この1年で最も助けられた一冊。

 

2019/10/10

 

うつ療養中に好きになったのが絵画鑑賞。とくに自分と同世代くらい(1960年代生まれ位)の女性作家に惹かれて過去の美術展の図録を探し求めたりしました。

伊庭靖子さん、中谷ミチコさん、津上みゆきさんなど素晴らしい作家さんがたくさんおられます。

残念なのは実物を観に行けないこと。北の田舎に住んでるので体調面・金銭面共に各地の美術館を訪れるのは難しいです。特に伊庭靖子さんは10年ぶりの大きな展覧会が東京であり、一時期本気でそのためだけに上京しようかなとも思ったのですが結局諦めました。メルカリで購入したその展覧会の図録を観てると「これらの絵に実際に触れられたのか」となんとも複雑な気持ちになります。絵は実物と印刷では本当に全然違いますからねー(特に作品が発するエネルギーが)

 

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今日は天気がいいのでベランダに鳥餌置いておいたらスズメンたちがやって来た。

昨日のタイ仏教のお坊さんとの面談の効き目か、久しぶりの青空のおかげか。今日は体調がいい。体調がいからこそいつも以上にのんびりして極力何もしないで過ごそうと思う

 

一日大人しくしてたおかげか体調安定。今月は極力何もしないでおこう。

テレビでは強い台風が来るというニュースをやってるが、ここ北の国までは来そうにない。それより心配なのは気温だ。季節は秋というより冬模様になって完全に寒い。今もストーブをつけて炬燵に潜ってこれを書いている。

手足が酷い冷え性なので冬は辛いのだ。自律神経にも悪影響ありそうだし。

足は炬燵で大丈夫だけど手がなあ。ストーブで部屋が暖かくてもあれこれやってると手は冷えるのだ。ダイソーで手袋買って指のところを切り取って部屋でも1日中つけてようか。

 

愉しむ気になる娯楽。いまは唯一小説。ただし古ーい、とうに作者が亡くなってるような作品に限る。

今は久生十蘭の「キャラコさん」と岡本綺堂「三浦老人昔話」。どっちも連作ものなので交互に読んでます。この作品どっちも現在紙の本での入手は難しいです。電子書籍に感謝です。

音楽もSpotifyとかAmazonミュージックなどの定額制サービスで新譜は勿論かなり古い音源も聴けますよね。これもありがたい。

なのに何故映画は?

これずっと疑問でした。Netflix、Huluどちらもお試しで使ったことありますが殆ど僕の観たいようなモノクロ映画はない。音楽や文章と違って映像はデータ量が大きいのでなんでもかんでもライブラリ化出来ないんでしょうか。観る人も少ないでしょうし、様々な事情があるんでしょうが。。。残念。

 

 

 

 

2019/10/11

 

ベルイマンの映画「夏の夜は三たび微笑む」やっと見終わった。

いまの体調だと映画は集中力が続かないので複数回に分けないと観られないので、これも3回に分けて観了。

ベルイマンにしては平易な内容(ロマンチックコメディ)で気楽に観られるが、それでもなかなか奥深くて観ながらいろいろ考えてしまった。

主人公の息子が片思いの末寝室で自殺しようとする場面は、一転次の瞬間に恋が成就してしまうというアクロバティックな演出で、まさに映画ならではの面白さを堪能できる最高のアイデアだった。

 

 

一旦良くなったと思われた鬱。調子に乗って3週間ほど活動的に過ごしてたら急に症状が復活。反省し「極力何もしない日々」を意識的にやりだして2週間くらい経つ。

おかげさまで今日なんてとても1年間療養してた人間とは思えない落ち着き。心も身体も異常なしだ。こんな感じが数日続けば完治!と勘違いしてしまいそう。

いまの好調は「極力何もしない日々」あってこそだということを肝に銘じねば。

 

2119/10/12

 

東京から地元に戻ってきて15年ほど経つのだがいまだに友達というものがいない。お店をやってたから知り合いは沢山増えたが、東京時代のように一緒に出掛けるとか互いの家を行き来するような友達はいない。

偏向した人間なので気が合う人とはなかなか出会わないのだが、それでも東京は人が多い分変わった人も多く何人かの友達ができた。だけど同じような友達を求めるのは小さな町では無理だ。それは自分でもわかっていた。

なので戻ってきてからはなるべく人付き合いをするようにしていた。3,4年かな?

その数年で得た結論は「友達は無理やり作るものではない」

 

いまは何故か彼女がいるので友達を兼ねてもらってる感じだ。友達はたぶんこの町ではずっとできないだろう。

 

今週タイのお坊さんに教わった体に負担のかからない呼吸瞑想をする。

「プットー」

 

人の意見に左右されるべきではないし、自分の意見を押し付けるべきでもない

 

2019/10/13

 

うつ療養中は食事にも気を使って毎日料理していた。食欲はあったので1日の一番の楽しみは自分で作った料理を食べることみたいな感じだった。

現在療養最後の追い込みの「何もしない日々を送る」の真っ只中なわけだが、怠けるのが仕事みたいな今の上京に慣れてきたせいか料理が億劫になってきた。というか食事自体が面倒。

というわけでコンビニ総菜パンとかカップ麺とかすき家とか、数か月前に食事療法に凝っていたアレはなんだったんだという状態になっている。

身体にはたぶん悪いのだろうけど心の状態は良好。

 

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「布、アクリル、糸」

 

療養中は絵を描いたりもしてた。今思えばそんなことせず休んでいたならと思うのだが、まあ暇に任せて。

最初はアクリルで描いてそのあと油絵もはじめて、絵じゃないんだけどダーニングという英国式繕いも学んで、というわけでこの絵はアクリル+ダーニングという複合技で最初に作ってみた作品。この技には面白みを感じててまたやってみたいところ。

療養中の作品は今後も小出しにする予定(絵は意外と病んでない)。

 

やることがないのはいつも通りだが、今日はやる気もまったくない。同じことのようだけどやることないけどやる気はある方が気分的には少し良い。

 

 今日から瞑想を再開することにした。以前は1回15分×8回くらいで1日2時間やってたのをグーンと押さえて1回5分、これを気が向いた時にやってみる。1日に行う回数は決めない。

こんな感じで2週間くらい試してみて心身への負担を確認する。

問題なければ少し時間を増やして。。。という計画。あくまで慎重にのんびり無理なく。

 

今日は5分を2回やった。たった10分だけど1日の充実感が全然違う。

違うんだけど、あくまで慎重にのんびり無理なく。

 

さらに5分。初日にしてはやりすぎた。ゆるっと「私」を手放す感覚が観えたような。

 

2019/10/15

 

今日は朝から将棋観戦(藤井/宮本 順位戦

将棋中継は藤井7段が連勝で話題になったころから見だしたのだが、基本駒の動かし方位しかわからないので盤面観てもどっちが有利かとか全然わからない。

よくわからないものを長時間観るのでこれはなかなか疲れる。解説、利き手の話もしっかり聞いてないと更にチンプンカンプンなのでそれを理解するのも頭を使う。

 

ということで療養中はあまりちゃんと観てなかった。真剣に観戦してたりすると具合が悪くなったりするし。

 

今は「直りかけ」の体調なので久々に観戦している。自分の疲労度をみながら適当にみたりみなかったりで愉しもう。決着は夜10時~くらいかな?

 

十代半ばから三十代までは生きがい=音楽だった。それが変化してきたのは44歳で上座仏教(南伝の仏教)に出会ってからか(このときも鬱に苦しんでいてその過程で出会ったのだった)。

その後も人並み以上にCDを買っていたし一応熱中はしていた。

そして今回の1年にわたる鬱静養中。自分でも驚くほど音楽に魅力を感じなくなった。

1週間くらい聴かないでも全然もんだいない。ごくたまにクラシックを聴いたりしたがそれも数十分で飽きてしまう。

昔のように音楽を愉しみたい!という気持ちにもならないくらい興味を失った。

 

そんな1年に買ったCDがわずかにある。あいみょんの全部。今年出たsekai no owariの2枚のアルバム。そしてBUMP OF CHIKINの新作「aurora arc」。

どのアーティストも買ったときは素晴らしいと思ったが今この瞬間の自分にフィットするのはBUMPだ。理由はわからない。昔からのファンというわけでもない。数か月後にはこの気持ちでこのアルバムを聴けないかもしれないので、数少ない音楽を流してみようかなという時間にはこれをかけている。

 

2019/10/16

 

現在深夜2時半。変な時間に目が覚める習慣がついてしまった。

 

やっと収まった鬱をぶり返しかけてから「極力何もしない」ことをすると決めて3週間ほど。その生活にもだいぶ慣れてきた。

最初のころは観たくもないテレビをつけてみたり音楽を流してみたりしてたのだが、そういうことも少なくなった。

今は「ひまだなにかしたい」という感情(思考)がおこるとその「この気持ちはいったいなんなんだろう」と観察する余裕が出てきた。観てみると意外とそういう感情の寿命はそう長くはない。無視してるといつのまにか消えている。

 

昨日も瞑想をやった。一昨日と同じく5分×3。正直こんなのあっという間に終わってしまって全然物足りないのだが最後の瞑想後にうっすらと頭の一部に違和感がおこっていて、やはりまだまだ本格的に瞑想をやるには早いようだ。

 

瞑想を含め日々とても少しのことしかしていないがそこから思わぬ学びがあるのが面白い。

 

うつ静養期間中に絵を見るのが好きになったことは前に書いたが、なにしろ美術館とかギャラリーとは無縁の田舎に住んでいる。と、ずっと思っていたのだが2ヵ月ほど前に駅近くの市営施設のビルの2Fフロアーが美術展示室のようなものになってることを知った。

最初に行ったときは冨田美穂さんの展示をやっていた。版画である。しかもどの作品も「牛」だ。どの作品も「牛」オンリー。一番大きな作品にはその展示場の空間を変化させるような力がみなぎっていた。あの部屋の主だった。

miho-tomita.jimdo.com

 

そのあと3回(3展示)ほど見たがどれもよかった。印刷されたものだとたぶん惹かれないであろう絵も多いと思うが実物だと目が留まる足が止まる思考が止まる。画家ってすごい。そう毎回思う。静養中に絵をかいたりもしていたのだが、ここに見に行くようになって辞めてしまった

 

夜7時ごろ眠くて仕方なくなったので布団に入った。朝まで眠れればそれでもよし。

結局9時前に目覚めた。それはいいのだがやたらと気分が憂鬱になってしまった。何故?寝る=休養じゃないの?

うつ感に切り替わるポイントが謎すぎて更にうつうつとした気分になっている今。

 

今週再開した瞑想。1回5分で数回程度から徐々に増やしてみようという計画だったのだが、早くも沢山やってしまった。1回5分は守ってるんだけどそれを10回くらいしてしまった。計50分だ。ちょっと急に増やしすぎたかもしれない。

もしかすると上に書いた寝起きの憂鬱感との関連性があるのか?とかも心配してしまう。

どれくらい直ってるのか、どこまでやれるのか、結局自分の体を実験材料にして自分で確認するしか確かなことがわからないので時間がかかる。うーん歯がゆい。

 

2019/10/17

 

暇すぎるからVRゴーグルを買った(メルカリで)。

いままで愉しんでたことにことごとく興味がなくなってしまったので、なら経験してみた事がないものに挑戦してみようと思いついた。

無職の僕に贅沢は敵なので2,3000円で売ってる安価なスマホはめ込みタイプにする予定だったのだが、メルカリで出物があったので少し良いヤツを購入。

 

届いたので早速試してみる。

PCでいうデスクトップなところが360度の写真空間で、空中で浮いてるボードをレーザーポインタ(勿論バーチャル)でクリックして操作していく(当然自分も浮いている)。この新感覚だけで痺れる。

ジェットコースターやらいかにもVRなものをいくつかみてみるがこれはそんなに面白くない。

想定外だったのだが相当良かったのがyoutubeの普通の動画を観ること。ライブやらの動画が映画館で見てる感じで臨場感がスゴイ(画質は悪いですが)。横になっても寝転んでても

見られるのも良。

だったら映画をみたら最高なのではと思ったのだが、うちのHDに収めてある映画をPC経由で飛ばすのはPCが古くて難しいようだ。これは更に研究を要するな。

kindle本とかもゴーグルで観られたら両手が空いて更に楽なんだが。

 

バーチャルリアリティー的な話からずれてしまった。

ハードの完成度は(安価にもかかわらず)かなりのところまで来てるのがわかった。

あとはソフトだ。VRで観たい、VRならではの楽しさがあるソフトが観たい。

ゲームはかなり楽しそうなのがあるようだがゲームはやらない。

すると残るはエロ用途だ。

これは想像するだけでドキドキする。

なんでもいいから安いコンテンツを買って体験してみようじゃないかと調べたりもしたが、VR。今日届いたばかりである。今日は十分楽しんだじゃないか。あせるな。エロは明日、いや明後日、いやいやずっと埼でもいい。ちなみにエロVRを体験したとしてもブログのイメージに合わないので感想とか書きませんので。

 

2019/10/19

 

一日死んでた。強い罪悪感に襲われずっと布団の中。起きたのは日が変わった12枚時過ぎ。今は妙に気分すっきり。いろいろあるな。

 

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シューベルトの「ドイツ・ミサ曲」をアナログで聴いてたらすごく良くていい感じに心が緩んだ。そのあと岡本綺堂の「三浦老人昔話」を愉しんでてふと思った。

今回のうつ以降現代のスピードについていけない心身になってしまったのでは。VRゴーグルとか面白がってるからそう単純には言えないんだけど。ただテンションが上がるようなことは苦手になったのは間違いない。

 

2019/10/20

 

先週は多少気持ち的にごたごたした。今日からまた立て直さなくては。

 

TVでラグビーワールドカップや野球日本シリーズをやってるなかであえてテレ東の高速バスの旅を見る。妙に面白かったなあ。大鶴義丹、熊切あさ美じゅんいちダビッドソンという微妙そうな人選がハマってた。熊切ってもう39歳か。頑張ってるなあ。勇気をもらった(かも)。

 

テレビに出てるような見た目を奇麗にしてる女性より心の奇麗な人が素敵。と思ってたけど心の奇麗な人なんていないよな(めったに)。心が見えないのをいいことにみんな真っ黒だ。なので見た目だけでも頑張ってる人のほうがマシな気がしてきた。

 

2019/10/22

 

終日どよーんとした憂鬱な気分。身体に異常は出てないかなにしろ気分が思い。今日は彼女が遊びに来てたのだがそれでもそんな感じだから手に負えない。

 

夜、先日買ったVRスコープ(oculus go)で少し遊んだら気分が軽くなった。この新しい娯楽、自分が思ってるより愉しい気分をもたらしてくれてるのかもしれない。

ゲームは10年以上ご無沙汰なのだがVRなら少しやってみてもいいかな。

 

ただなんでも一緒だがやがてVRも飽きる。そのときまたVRのかわりになる新たな刺激を探すことになるのは勘弁だ。外側の刺激に頼らず心をまともに保つ。もし異常がおきてもやり過ごせる、そういうスキルがどうしても必要。それが瞑想だと思っている。

まだ心身の都合で1日2.30分しか出来なくて、少し前までならそれで焦って逆に精神的にマイナスになったりしてたのだが、タイのお坊さんと話して体調の様子ををみながらマイペースに出来るようになってきた。相談する乗って大事ですね。

 

そういえば世間はラグビーで大盛り上がりのようだがこれも全く興味出ず。もともとサッカーとかオリンピックとか国同士のしのぎを削るスポーツ退会は好むほうだったのだが、いやー今回のはどうでもいいですね。恐るべし鬱。

 

2019/10/24

 

朝7時に起きてやることないからNetflix「リング」を見ていた。早朝に見るような映画ではないが別に今見ると怖くはないし話はよくできてるのて暇つぶしにはなった。

 

精神科に来ている。前回来た時は「調子悪くないです」とか言ってたはずだが。ここの先生は俺を軽傷うつと認識してるので今日不調を訴えても何も変わるまい。薬もらうために通ってる感じだな。

 

あー入院したい。無理だろうけど。

 

診察終了。今日は担当医が妙に優しかった(ように感じた)。いつもは冷たい印象なのだが。というわけで眠剤を強めの(医者はシャープなと言う)ものに変更。あと薬も追加。布団にはいってスパっと眠れればだいぶ違うかもしれない。

 

3時くらいに散歩に出たときは「今日は心身ともに不快な点なしサイコー」と思いながら歩いていたのだが、そのあと急に身体がだるくなってきた。いまは帳だるくて動けない。ぐるじい。

 

2019/10/25

 

昨夕から体がだるくてしかたなかったので思い切って夕方6時に布団に入った。そんな時間に寝るとまた妙な時間に目が覚めてそこから眠れなくて悪循環の心配があったが、昨日処方された眠剤が強めだということでそれを信じて就寝。

早朝4時までぐっすり眠れました。身体も楽になった。

 

そもそも人間のために作ったはずの世間というものが歪になっていきその歪な世間に逆に人が合わせて生きようとするのだから苦しむ人がたくさん出てきて当たり前かなと思う。そんな世間のあれこれをしつこく伝えるニュースTV番組を今消した。

 

そのあとまた寝た。眠いというより起き上がる気力がない。

 

夕方少し(ほんとに少し)意欲が出てきたのでいつもの散歩。紅葉の良い季節だ。がそんな景色を見てもなにも思わない。「景色だなー」としか思わない。そういえば猫が好きでいつか絶対飼いたいと思っていたのだが、最近野良とか動画とかの猫をみてもそれほどかわいいと思わなくなってるのに気付いた。「あー猫だなー」だけ。見た儘を認識するだけ人間だな。

 

2019/10/26

 

映画館が苦手だ。20代半ばのころ映画館で数回パニック障害を起こして以来

数十年行ってない。たぶん暗さと閉じ込められてる感がダメだったのだと思う。

映画は好きなので以降主にDVDを自宅で見てきた。

 

そんな映画館嫌いの自分がひょんなことから買ったのがVRゴーグルのoclus go。

VRを体験したくてかったのだが副産物としてnetflixなどで疑似的に映画をシアターで見てるような気分を味わえる。疑似的というか感覚的には完全に映画館だ(またはホームシアター)。

そしてその大画面で見る映画が面白い。自宅モニターで見てもそう変わらないだろうとっずっと思ってきたが大画面だと作品の面白さが数十パーセントアップする感じだ。

 

とはいっても今はしょっちゅう見る元気はないのだが思わぬ愉しみが少しできた。